評価軸が変わるとき

日本を創った12人という本を読んでいます。仏教と神道と共存させることを選んだ聖徳太子、清貧を説いた石田梅岩などはじめて知ることが多く、楽しく読んでいましたが、特に印象に残ったのは徳川家康でした。

関ヶ原の戦いで活躍した武将への手厚い褒賞はもちろん知っていたのですが、その後福島正則、加藤清正といった大功労者である武将を「潰した」ということをこの本で初めて知りました。
 
その潰した理由が「評価軸が変わった」からと、その本では解釈されていました。具体的には、イケイケどんどんで戦い、領地を広げてきた福島氏や加藤氏は、たしかに戦国時代から関ヶ原までは貴重だった。ただ江戸幕府では秀吉の事例から海外進出をしないと決め、その結果これ以上領地が広がることがなくなった。となると、戦いに強い武将よりも、幕府に従順な武将を優遇する結果になった。というわけです。

その本には「家康が冷酷といわれる所以になるエピソード」と紹介されていましたが、たしかに冷酷だと思います。ただたとえ冷酷だったとしても、それを貫かないといけない時代の流れだったとも思います。

ここからは僕の想像ですが、家康もいきなり潰すといったことはしてないはずです。これからは領土を奪い合う時代ではない、幕府を安定させていく時代なんだ、ということを何度も説いたはずです。それでも「おれには戦いしかない」という立場を変えない武将には、残念ながら評価することはできない、という苦渋の決断だったと思います。

コロナウイルスをきっかけに、いまもまた大きく評価軸が変わる流れになっていると感じます。世の中に求められる会社であり続ける必要があると強く感じます。

株式会社フロンティアゲート
吉武和英

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